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実家への往復は時間のかかる長旅です。
遠いなー、暑いなー、と思うけど、何故かそれほど嫌ではなく、半日かけての移動で、自分の中で色々なことを整理できているのかも知れません。
でもたまに空港が近い友達が来てくれて、それは本当にありがたく嬉しいのです^^。
  
東京に戻る時、よく利用する駅前のタリーズコーヒー。
空港行きリムジンバスを待ちながら、街モードの頭に・・・。
普段の仕事の続きを考えたり、メモったり。

今度、この赤い船に乗って男木島に行こうって思います^^。
豊島(テシマ)も行きたいし、まだまだ行って無い島たくさん。

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八月といえば、TVからは高校野球と、6日、9日の平和記念式典の様子が流れて来ます。
平和記念式典は終戦頃を想像させ、終戦といえば母方の祖父母一家の韓国からの引き上げを想います。
母から何度も聞いた話ですが。

今の釜山あたりに渡って仕事をしていた祖父と、それを追って結婚し6人の子供に恵まれた祖母。
男児は2人で出兵したそれぞれを思う気持ちからか、近くの兵隊さんの宿舎に一番末っ子の母を使いにやり、金網の破れた穴からおにぎりを運んであげたり、家のお風呂に呼んで入れてあげたりしていたそうです。

終戦で取るものも取り敢えず日本に帰るしか無い状況の中、列車や船に乗るにも人で溢れて困難。
乗れるまで何日も線路沿いに野宿する人もいたとか。
その時、その近くの宿舎の兵隊さんが自分たちと一緒に行こうと乗せてくれ、帰ることができたそうです。
母が小学校4年の出来事で、うまく帰って来られなかったり親とはぐれていたら?と考えると自分の存在も無かった訳で、これまで繋がって来た家族の歴史って不思議だなぁと思わざるを得ません。

何かとダイナミックで愛情に溢れていた祖母の話を聞くのは面白くて、その一つに、祖母が最後を過ごした病院で、県知事さんが訪問してくれた日があったらしく、入院着から着物に着替え、ベッドの上に正座をして待っていたそうで、引き上げて色々なことがあった話を一生懸命聞いてもらっていたと。
その時の写真を見つけました^^。本当に訴えるような目をしてます。

私が22の頃亡くなった祖母、私より72歳上の同じ辰年、94年の生涯でした。
ちなみに遠くまで追って行くほどだった祖父はこんな感じ。
私の知っている姿はいつもこう。田んぼに住んでいる人かと思うくらい、いつもこうでした。笑。
ひよっこの奥茨城村ではありません。